ゴロタの blog-memo  

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2012.01.20 Friday

ブサキ寺院 補足

 ゴア・ガジャから、一時間半位で駐車場に到着。 ここから先は自分達で行かなければならない。
 ガイド兼ドライバー(ディー・チャン)さんの車内での説明
 ・ネットで良く見る、「現地のガイドが同行しないとエリア内に入れない」と言うのは、少し違う。
  「怒った顔をして どんどん 歩けば 大丈夫」:D
・ガイドを頼むか、頼まないかは自由
  「相場は 2,000円〜5,000円」:D
・ ブサキに限らず、サロンが無いと入れない。通常借りる。今回はおみやげ代わりに購入することにする。

 チケットを買って少し進むと、カウンターのある小屋から、「チケット! チケット!」と怒鳴られる。持っているか? と言う意味だと思い、チケットを見せに行くと・・・
 「お布施をしない人間は、中に入れないよ」
 台帳見たいのを出してきて「お前はいくら払うんだ?」とほとんど取り囲まれるような雰囲気で、寄付を迫られる。
 
 あ゛〜 いきなり捕まってしまった。事前の情報では、お寺と関係無い方々らしい。
 「中に入らなければ この先に進んで良いの?」
 「入り口までだぞ」と坂の上を指差す。
 「あそこまではOK?」
 「中に入れないぞ!」  「わかりました。あそこまででいいよ!」と歩き出す。脱出 成功(^o^)

 入り口に到着 案内板を見ていると、「はろー」 あ 来た来た。
 「私と一緒なら 中に入れるよ 50ドルでいいよ」
 「お寺の中にも入れますか? あなたと一緒なら」 「私と一緒なら大丈夫。もう セレモニーは終わった」
 「あなたは ガイドですよね?」一応確認。

  ここで 面白いことが・・・・

 「ガイドじゃないよ」:男
 「・・・ ガイドじゃないの!?」:私
 「違う・・・ 私はガイドじゃない」:男

 ・・・ しばし沈黙 ・・・
  「ガイドだ」と言えば済むことを、違うと言って、なにか免許証みたいなものを出して、長々と説明をしてくるが、よく解らない。
 面白そうなので、値切らずに 妻に払ってもらう。(^o^)

 歩きながら彼が言うには、自分はこの近くの村の人間で、普段は畑をしている。ごつごつとした手を私に見せる。たしかに楽な仕事をしているようには見えない手だ。
 ここには週に一度位来ている。 

 途中で追い返される人もいて、登るにつれて人が少なくなって来る。ブサキで一番高い位置にあると言われている バトゥ ・マデッ寺院まで行った時には、ジャワ人のカップルと、私達2名だけで、後から、白人が数人登ってきた。

 「あれが見える?」:男  山の中腹ににぽつんと見えるものを指差す。
 「あれがブサキで一番上の寺院だ。あんたが時間があれば、連れて行ってやる」
 「ここが一番上では無いの?」:私  「違う。あそこが一番上のお寺」:男

 ここから先は、別料金とか言うのだなと思い,
 「もう お金が無いよ」と言うと、お金は要らないと言う。

 「時間は どれ位かかりますか?」と聞くと
 「往復で4時間位」
 明るいうちに帰ってこれるな・・・ かなり迷うが、次に「グヌンカウイ 遺跡」に行く予定で、ドライバーにもそう言ってあるので、止めることにする。
「あそこから見る景色は本当に素晴らしいんだけどなぁ。行かないか?」と残念そうに言った。

 戻りながら聞いた話では、彼はアグン山に登るガイドをしているらしい。
「もう何回も ガイドして頂上まで登っている」と言っていた。

 突然「あ あそこに妻がいる」といって女性を指差す。 
 「小さいけど 可愛いよ」 果物を売りに来ていたようだ。

 「綺麗ですね、写真 撮っても良いですか?」:私
 「良いよ」:男
 奥さんはなんだかすごくはずかしがった。
 逃げようとする奥さんをとっ捕まえて並んだ写真

 後で読んだ本に書いてあったのはバリでは、普通の女の人は写真を撮らせてくださいと言うと、ひどくはずかしがるらしい。その時に「まだ 沐浴して無いから」と言う決まり文句があるそうだ。
 文化の違いは面白い。バリの人は一日に何回も沐浴をする。
 
 2時間位で駐車場に戻ると、「あんまり戻って来ないので 心配していました」と言われた。

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 ガイドが居ても寺院に入れないと言う話:
 ブログなどでとても多いが、それは、祭祀を行っている間のようだ。
 「セレモニーは終わったから入れる」といっていたので判る。
 ただ、毎日のようにどこかしらのお寺で、祭祀(オダラン?)が行われているようだ。
 私たちは、ちょうど昼頃に入ったお寺では、後片付けの最中だった。

 「怒った顔でどんどん歩く」:
 「出て行け 出て行け」と言われ、逃げるように早足で歩くのでは、なにをしに行ったか判らないので、頼む方をお勧めいたします。


 寺院も、景色も素晴らしかった。、一人でのんびり居られないのはとても残念だが、遺跡ではないので異教徒がのんびり散策という事自体、無理があるかな。
 
        ※2011/11 初めて行った ブサキ寺院の個人的な印象です。


2011.12.19 Monday

ブサキ寺院 Pura Besakih

 事前の情報で これくらい評判の悪い観光スポットも珍しい。行くかどうか迷ったが、結局行ってみた。

 アグン山の中腹にある、バリ・ヒンドゥー総本山。割れ門まで登り振り返った時の景観は、沢山のブログに書かれているように、素晴らしかった。どこまでも続く山裾と湧き上がる雲を見おろすのは感動的だった。お布施の強要もなかなか・・・ やな感じ   評判どおりだ(^o^)

 入り口の案内板:右下隅が現在地(入り口)

ブサキ寺院と言うのは主に、以下の3寺院を言うらしい。
☆バトゥ ・マデッ寺院:Pura Batu Madeg (ヴィシュヌ)
プナタラン・アグン寺院:Pura Penataran Agung (シヴァ)
キドゥリン・ クレテッ寺院:Pura Kiduling Kreteg (ブラフマァ)
 これはトリムルティーかな。 このエリアに大小合わせて30以上の寺院がある。ブサキ寺院群と言う感じ。
 そういえば、カンボジアのプノン・バケン、プノン・ボック、プノン・クロムもトリムルティーだと言う話もあったな。


 プラナタン・アグンの儀礼門(パドゥ・ラクサ) 正面は通れない。左か右から入る。
 民家の入り口も小さな割れ門を入るとすぐに衝立があり、左右に回り込んでから入る、直進出来ないようになっている。


 メル:須弥山をあらわしている。11層はブサキにしか無い(許されている)そうだ。


 神座:左から、ウィスヌ(ヴィシュヌ):黒、シワ(シヴァ):黄・白、ブラフマ:赤。降臨する場所を椅子で表している。バリ・ヒンドゥーでは、三大神を図像には表さない。
 面白いのはブッダはシヴァの化身(同一)と言う考え方があるらしい。「ヒンドゥー教と仏教は同じだ」と言うのは滞在中3人の人から聞いた。
 シヴァだけ、2色(黄・白)なのはその為かなぁ? ※想像。今のところ2色の理由が判らない。
 一緒に入ってくれた「村の男」は、シワは特別な力がある。としか言わなかった。

 バトゥ ・マデッ寺院 割れ門(チャンディ・ブンタル)
 二つに割れた山だと言う話と、塔だと言う話がある。邪悪なものが通ろうとすると閉じてしまうと言う。
 割れ門は、寺院の入り口、村の入り口(境界)におかれる。

 バトゥ ・マデッ寺院  儀礼門(パドゥ・ラクサ)
 割れ門が入り口で、中に入ると儀礼門がある。左右に回り込んで入ると、祠堂、メル、神座、その他があると言うのが、バリの寺院建築の様式らしい。石材はアグン山から運んでくるらしい。溶岩だから黒いと言われた。


流れる雲の合間に見え隠れするアグン山は、神秘的だった。

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 参考
 ・Wikipedia
 ・「神々の島 バリ」 ビリ・ヒンドゥーの儀礼と芸能  吉田禎吾:監修 河野亮仙+中村潔:編
 ・「バリ島」 -Island of Gods-   賈 鐘壽(Ka JongSoo)
 ・数々のブログ

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2011.12.11 Sunday

イエ・プル Yeh Pulu


 ゴア・ガジャから車で5分位(南東1Km) 渓谷のような地形。川(Pekerisan river)にそって岩壁(25m)にレリーフがある。対岸は棚田。

 1925年に兵士(army-comander of the kindom of Ubud)が発見、1929年にオランダの考古学者(Dr.W.F.Sutterheim)が、発表。マジャパイト王国(1293-1500 年)の14世紀の遺跡と考えられている。 


 ターバンを巻いているように見える。現在のバリの司祭の冠にも似ているそうだ。


 この狩のしかたは、荒っぽいなぁ。 

 一体 なんなんだ これは ・・・
 なんとも不思議な雰囲気。微妙にシャガール みたいな ・・・

 椰子酒を天秤棒で運ぶ人などから、当時の生活の様子と言う意見と、狩の熊のような動物はバリには居ないので、なにかの物語では無いかという見方、ワヤン ・ クリと言う人形劇のようなものとの関連があるなど、要するにはっきり判らないのかな?
 

   
 ガネーシャと、もう一体はなんだか、家の近くのお地蔵さんと座り方がそっくり (^o^)

  ガイド兼ドライバーのディー・チャンさんによると Yeh:水 Pulu:陶器の壷とか器と言う意味だそうだ。 壷はお米を入れる壷らしい。

 ネットでいろいろ検索したけれど、どうもはっきりした話が見つからなかった。


2011.12.02 Friday

ゴア・ガジャ Goa Gajah   バリ島 ウブド

Goa(象)のGajah(洞窟) と呼ばれているが、理由は不明。 横目のボマ(カーラ) まるでバロンダンスみたい。

 旅行会社のHPなどにに「11世紀頃の遺跡」「洞窟は1923年に発見された」とある。
 14世紀に書かれた『デーシャワルナナ Desawarnana』(通称『ナーガラクルターガマ Nagarakrtagama』) という 古ジャワ語宮廷年代記にこの場所が出てくるそうなので、それより前には違い無い。 コンパスを見ると、寺院(洞窟は) ほぼ南西を向いていた。


 沐浴の池:1954年の洪水で土砂が流されたため見つかったそうだ。
 池は、洞窟の正面より、向かって左にずれている。池に入り、女神像の前で水を浴びている人は寺院(洞窟)の正面に居る事になる。
 中央に仕切りがあるのは、男池・女池 かな・・・?


 沐浴が終わって、階段をあがり、寺院 入り口に向かうと・・・ 目が合う。
 だから、横目なんだ。・・・多分。  心にやましいものがある人は脚がすくむかな?
 寺院の入り口あるボマ(カーラ)は、魔除のため。


 内部は、T字型の石窟で、突き当たって右に、トリムルティーのリンガ。
左から、ヴィシュヌ、シヴァ、ブラフマー。反対側に、ガネーシャが一体。(だから象の洞窟?) では無いらしい。




 中途半端な、向き(南西)の訳は、後で気がついた。
 ここ ゴア・ガジャから見て、北東にはアグン山があった。 寺院と向き合った時、アグン山に向き合っている。
 インドのヒマラヤ、アンコールのクーレン山。 ヒンドゥーの神々は山に・・・ 御座します。 




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memo:
・ バリ・ヒンドゥーのカーラ(ボマ)は、上あごのライン、下あごの有無、舌の有無などで、時代や地域が判る。バリエーションは多い。
・ 地元の人は、カーラとバロンは違うと言っていた。※ジャワのカーラは、バリのボマ
・ この周囲には、細い道を辿って行くと、数箇所に石像が見られるらしい。
・ Desawarnana written in 1365

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2011.12.01 Thursday

バリ島へ


10:50 成田から 


夕方 デンパサール。雲の中に 聖なる山 アグン山が見える。

前半 おなかを壊す前に、遺跡とお寺を回る予定

Gunung Agung  海抜 3,142m
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