ゴロタの blog-memo  

<< July 2019 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

<< バンテアイ・チュマール2  千手観音:アヴァロキティシュヴァラ | TOP | 北側から祠堂内部へ >>

2012.03.21 Wednesday

 バンテアイ・チマール 西側外壁 レリーフ

 王と軍隊の行進や、アプサラなど、思ったより綺麗に残っていた。

 人間とアスラの戦いだろうか。バイヨンの大蛇と戦う王のレリーフを思い出す。王様の武勇伝と言うところかな。

 荷車ごと飲み込むと言う場面。馭者だろうか、次は自分の番なのになんだか緊張感が無いのが可笑しい。アスラは鼻の形からマカラにも見える。
 頭から飲み込まれている動物は尻尾を見ると、牛のようだ。 荷台にピラミッド状に積まれているのは何だろう・・・。

 人が担いで運んでいる。縄でつるした板の上に積み重ねている。煉瓦だろうか。
 縄は上端を一箇所にまとめているので坂などで前と後ろで高さが違っても荷物は水平だから荷崩れが無い。 4人で担いでいるので 一つ1kgなら、100ヶ位は運べたかな。
 そのうしろから抱きつくようにして担ぎ手の背中を押している人がいる。 上り坂だと後ろの人ばかりに重さがかかってしまうのでこうして坂を登っているのだ。
 一番上に仰向けの動物が見える。 晩ごはんかな。


 威風堂々 

 バンテアイ・チュマール碑文に、某王子率いる戦士達と4人の将軍の功績が列挙され、王子の彫像は中央に、安置、人物像はその両脇に配置されたことが判るそうだ。
 
  ジャヤヴァルマン七世はチャム人の王子「ウィディヤーナンダナ」を深く信頼していたようで、マルヤン(現在のバッドンボーン地方)で起こった反乱に、この王子に討伐を命じていた事からもそのことが窺える。
 チャム語碑文によると、ジャヤヴァルマン七世は、1182年頃、自分の手許に置いたチャム人王子に、「ユヴァラージャの肩書きを授け、国内に存在するあらゆる喜びと(対を成す)全ての財産」を譲渡、したらしい。

 しかし ジャヤヴァルマン七世の死後、インドラ・ヴァルマン(1218?〜1243年)が後継者となるが、チャム人の王子「ウィディヤーナンダナ」と同一人物かは定かではない。
 インドラヴァルマン二世の死後、ウィディヤーナンダナはまだ生きていたと思われる。


 ジャヤヴァルマン七世は、子供が多かったようで、少なくとも4人は碑文に記録がある。
Surya kumara:Inscription of  Ta Prom
Vira Kumara :Inscription of  Preah Khan
Indoravarman( son of the jayarajadevi)
Srindra kumara:Inscription of Banteay Chhmar​

※Indoravarman は インドラ・ヴァルマン2世。

kumara(クマーラ)と言うのは、少年を意味するらしい。
スリンドラ クマーラは王子の称号で、ウィディヤーナンダナと同一の人物と言うことだろうか。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
アンコール・ワットの時代」 ブリュノ・ダジャンス
「アンコール・王たちの物語」 石澤良昭
「Indianized State of South East Asia」:George Coedes

JUGEMテーマ:旅行 

コメント

コメントする









この記事のトラックバックURL

http://blog.khleang.com/trackback/845054

トラックバック

▲top