ゴロタの blog-memo  

<< March 2024 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

<< 故 ケオ・キナル氏 百日法要 2011年2月27日 | TOP | アンコール・ワット 第一回廊 マハー・バーラタ >>

2012.08.28 Tuesday

バット・チュム : Bat Chum 2012/02/26

ソーティーヴンさんに連れられて、最後は バット・チュムへ。
バット チュム
 修復中でしたが、鉄パイプでは無く、竹で足場が組まれているのがそれなりに良い雰囲気。
 プレループ・スタイルの大乗仏教の遺跡で、一つの基壇の上に、煉瓦の祠堂が3つ並んでいます。小さな遺跡ですが、学術的に重要なものだそうです。
 ソティーヴンさんが、左が仏陀 右がプラジュニヤパーラミター(般若菩薩) と言い間違えたのを、K・Jさんが、「仏陀が真ん中じゃないの・・・?」
 私はインドラ神が最高神でお釈迦さまを試したりする話が漠然と頭をよぎったので、「時代によっては そう言うのもあるんじゃないですかね」  K・Jさん「え゛ そうなの?」 もちろんデタラメです。旅の嘘はつき捨て(笑)
  お釈迦様が仏陀になる前、前世の話にそういうのがあったかも。

    祠堂入口の碑文だけ見せてもらいました。サンスクリット語と、クメール語で書かれています。
 碑文から ラージュンドラヴァルマン一世(944-967)のグル(王師)、カービンドラーリマタナ(Kavindrarimathana)が、952年に仏像を奉納したことが判っていてるそうです。バット・チュム寺院は953年の建立と言う事なので、完成前に仏像を奉納したことになります。
 この人は王命により東メボン寺院、王宮の築造を任されたと言われています。


 修復のため、地面に置かれたリンテル:中央は、獅子(?)が 花綱を噛むデザインになっている。
 中央祠堂にはインドラ神とアイラーヴァタがまだ残されていたので、これは左右どちらかの祠堂のリンテルと思われます。


 あまり観光客の来ない遺跡だと思いますが、女の子が一人、木で作った お椀や、オタマを手に持って立っていた。 ソーティーヴン様 全商品 お買い上げ。


 バンテアイ・クデイの前を南下、左折して少し行くと左側にBATCHUMの看板と入口がありますが、ここから遺跡は見えません。

--------------------------------------------
 ・建立から、20年後に仏像が置かれて、仏教寺院になった。と言う仮説もあるそうです。最初はヒンドゥーの寺院だったと言うことでしょうか。

wikipedia:
 ・ Also notable are the inscriptions on the doorways that praise the architect as well as request that elephant owners keep their animals off of the dikes (their version of keep off the grass).

参考
 「アンコールワットの時代」 ブリュノ・ダジャンス
JUGEMテーマ:旅行
 

コメント

横並びの3塔はトリムティー(3神)を祭るのが普通ですよね。時代の近いロリュオス遺跡群では無かったと思います。
2012/09/11 10:51 AM by 石松
なるほど〜。最初は ヒンドゥー寺院なんですね。
ところで先日の一件にはぞっとしました。次回は陸路はやめようと思います。
2012/09/11 7:08 PM by gorota

コメントする









この記事のトラックバックURL

トラックバック機能は終了しました。

トラックバック

▲top